Qプロジェクトの最近の活動状況について

[Qのリニュアール・サイト]

Qプロジェクトはかれこれ5年前の2001年に開始されたプロジェクトで,現在は宮地剛さんが代表をされています。Qホームページは最近xoopsを使ってリニューアルしました。

http://www.q-project.org/

にあります。

[システムソフト:以前のWinds_qと現行のWinds_sletsの違い]

Qでは以前はWinds-qというかなり複雑で大規模なperlプログラムを採用していましたが,今ではよりシンプルなWinds_sletsを使っています。Winds_sletsは先のQホームページの左側のメニューにありますが,URLはここです。

http://q-project-sys.org/winds/

各会員が自分のIDとパスワードでログインする仕組みで,イーバンクなど,ネットバンクのシステムとそう違いはありません。以前のシステムはネットバンクよりもおそらくずっと複雑なシステムですが,他の会員の取引履歴や口座残高が全て閲覧できるガラス張りになっています。Winds_sletsでは自分の取引履歴と口座残高しか見れないようになっているのと,赤字上限が固定されているのが以前との大きな違いです。

こうなった事情はいろいろありますし,こうするのがいいかどうかについてもディスクロージャーやプライバシーの観点から賛否両論ありました。Qの基本的設計理念は,プライバシーではなくディスクロージャーこそ,会員相互の信頼醸成に不可欠だというものです。Winds_Qはこの考えに基づいて,会員がほとんど全ての情報を見ることができる完全に透明なシステムにしたのです。初めは多少の違和感がありますが,これに一旦慣れてしまうと,他の人がどんな取引をしたのか,そして,その結果としていくら残高を持っているのかといった情報を確認できないと,逆に不安になります。というのも,これではいざ誰かと取引をしようと思っても相手についての情報がないわけで,むしろそういう状況に不満を感じるからです。Yahooオークションや楽天などのバーチャルモールなどでも,買い手が売り手を評価した評判情報をポイントにして提供しますが,それに近い感じで,取引情報そのものが評判情報になるわけです。もちろん,会員の合意に基づいて,一定の情報を見れないようにすることはシステム上できるようになっています。

Winds_Qには,参加者の実績評価の仕組みとして,売り買いの取引合計に赤字上限が連動して拡大する仕組みが組み込まれていました。これはあるプログラマの方が一人で書いたものですが,プログラムが大きく入り組んでいて,本人でもどこに何があるかがわからなくなるそうで,このため,メンテナンスやアップグレードが難しくなってしまったのです。かつてはQハイブにソフトウェア関係だけでも数人の「ボランティア」が参加していたのでこの巨大システムのメンテやバグ取りも可能でしたが,今はプログラマがいないという厳しい状況なのです。となると,管理運営の負担軽減を第一に考え,システムのメンテナンス,開発における簡便さを他の設計理念に優先させざるをえなくなるのです。

ということで,Qはいま最もシンプルなLETSをビルトインしたslets(simple-letsの意)を採用しています。これをミニマムなシステムと考えれば,さらに必要となる機能のモジュールを追加的に開発して行けば,より高度なシステムが作れます(あくまで理想の話ですが)。こうしたモジュール思想に基づいていますので,拡張可能性は確保されています。要は,その後を誰が開発し管理するかということです。いずれもう一度この点について議論しようということになっています。

[カフェ・コモンズ]

ところで,宮地さんはいまQの代表であるだけでなく,あるカフェの店長でもあります。昨年,スローフードとスローワーク(引きこもりの人が働ける場所づくり)というコンセプトを掲げて,大阪府高槻市で何人かの仲間とともにカフェ・コモンズを開店し,そこでの飲食サービスの支払いにQを使えるようにしました。

http://cafe-commons.com/
http://cafe-commons.com/05staffs/index.html

いくらネット上の通貨とはいえ,やはり実際にQが使える店,Qで買えるモノやサービスがないとうまく流通してくれません。東京国分寺にスローフードのカフェとして有名なカフェスローがありますが,そこでQが使えます。宮地さんがQ代表になってからQの今後のことをいろいろ議論したのですが,とにかくまず使える店を一つでも増やすことが大切だという結論に達しました。そこで,カフェスローに匹敵する店を関西にも作りたいということで,カフェスローを手がけたデザイナーの大岩さんに設計をお願いし,店の内装やパンを焼く石窯は自分たちでこつこつ作っていったそうです。ここにそうした説明があります。

http://cafe-commons.com/03aboutus/index.html

話を聞いていると,開店当初は宮地さんらの賃金の支払もままならず,しかも「スローワーク」と言うスローガンとは裏腹な「ハードワーク」の毎日で,へとへとに疲れ,経営的にも相当苦戦していました。しかし,このところ,毎月イベントを開催して次第に固定客も増えており,経営的にも安定してきました。余裕ができたこともあり,ようやく当初考えていたQなどの地域通貨との連携も実現化してきたようです。

[Qの沿革]

ここで,Qの沿革について説明しておきます。予めお断りしておきますが,詳細な事情や理論的な批判についてはここで書くことはできません。いずれ,別の機会に書くつもりですので,ここでは,特にQに関心を持っていただいた方に知っておいていただきたいと思うことだけを記しておきたいと思います。

Qプロジェクトは私がNAM(NAM(New Associationist Movement)は柄谷行人が中心になり2000年に創始した運動,浅田彰,坂本龍一,岡崎乾二郎,スガ秀美等の著名人,太田出版社長・社員他も参加,私も初めから参加したが,下記の理由で2002年に脱退した。その後,2003年解散。)にいた頃に始めたものです。参加者を募集し,半年ほどの討議と準備期間を経て,2001年12月に正式に会員を募集しました。

[Qハイブ]

Qの運営母体であるQ管理運営員会は,「ビーハイブ」(蜂の巣)をもじって「Qハイブ」と呼ばれていました。Qハイブは当時20人ほどいて,MLで討議や情報交換,報告をしながら運営されていました。各委員会ごとに会議室ならぬMLがあったので,全部でMLは10以上ありました。NAM会員を中心に運営を行っていましたが,そうでない人もいました。Qハイブメンバーの居住地はグローバルで,東京,大阪,名古屋を中心に北海道や長崎,ニューヨーク等から参加していました。Q会員の地理的分布も同じようなもので,グローバルに散らばっています。Qを「グローカル通貨」と呼ぶのは,ネット上のバーチャルなコミュニティが関心に規定されるローカルなものでありながら,参加者の居住空間がまったくグローバルであるということによります。

[Qの基本方針:開放性と独立性]

プロジェクトは準備段階からNAMメンバーだけのクローズドなものでなく,メンバーではない一般の方も参加できる,オープンなネット上の地域通貨を指向していました。したがって,プロジェクトの正式の開始時点でも,Qはその会員をNAMに限らず,その外部からも広く募集したのです。実際,NAMとまったく関係ない人もかなり参加してくれました。このQの開放性と独立性については,事前討議の段階で突っ込んだ議論がされました。なぜQがNAMの集合の外へ出なければならないのか,その場合,NAMの位置付けはどうなるのかなどです。言うまでもなく,この議論には後に騒いだ柄谷行人も参加していて,このことを承認していました。そして,この基本方針は,Qハイブでその後何度も確認されてきたのです。

[QとNAMの紛争における柄谷行人の言動]

ところが,やがてこのことが問題として顕在化してきました。2002年8月下旬に,オフ会でQの運営方法と方向性について運営メンバーが話し合うことになっていました。ここに,柄谷行人(監査委員)が何の連絡もなかったのに飛び入り参加し,Qの基本方針に強引に介入しようとしたのです。それだけでなく,自分の意に添わない副代表を辞任させろなど不当な要求を突きつけ,それに従わない私に対して,恫喝を続けました。徹夜でも自分の意見に従わないQ代表である私に対して,さらに,自分の社会的地位(近畿大学国際人文科学研究所所長)を利用して圧力をかけてきました。このため,私は2002年8月31日にNAMを退会したのです。

彼の意図は,意識的だったかどうか知りませんが,QをNAMに従属させることにあったようです。柄谷行人はその後,私やQを誹謗する文書「Qは終わった」を書いて,NAMの最高議決機関である評議委員会の承認もえないで勝手にNAMのHPに載せようとします。回りの人々がそれを止めたことに腹を立て,「自分を専制的と言うならば,NAMを辞める」と脅します。その時,彼は既に代表ではなく,NAMでは何の正式な権限も持っていませんでした。しかも,自分が称揚した「くじ引き」(権力の固定や派閥争いをなくす事を目的に,選挙で選んだ最後の3人の候補からくじ引きで代表を決め,残りの二人を副代表にするという方法)により決定した新しい代表や副代表がいて,彼らが評議会で止めに入った,特に,弁護士である副代表が名誉毀損の恐れありと忠告したにもかかわらず,まったく言うことを聞かなかったということです。その挙げ句の果てに,自分を止めた評議会委員に逆に謝罪させ,辞めるどころか居直って,ますます好き放題に暴れました。彼はその間もQへの攻撃や嫌がらせによりQをつぶそうとしますが,このやり方に反発するNAM会員も多く,なかなか彼の意のままになりませんでした。そして,最終的に,2003年2月にNAMは解散してしまいました。

私はその当時,柄谷行人が引きおこした会費返還,退会煽動の対処に追われていましたし,QハイブにいるNAM会員も黙っているので,NAMで一体何が起こっているか知りませんでした。後でいま説明した経過を知った時には,ただあきれて開いた口が塞がりませんでした。この一連の行動を間近で見た人が,それを「ちゃぶ台返し」(「巨人の星」の主人公の父,星一徹が得意とするところの)に喩えましたが,父性の爆発とかそんな高級なものではないでしょう。自分が欲しい玩具が買い与えられないで道路で大の字になって泣き叫ぶ幼児のような行動でしかありません。柄谷行人はQへの中傷文書において,Q管理運営委員会(Q管)のメンバーを「Q患」に喩え,ピョンヤンに行くべきだと言うのですが,自分こそまさにピョンヤンの首領であることには全く盲目なのです。こういう言葉から見ると,Qに対する言動も無意識的なものだったのだろうということです。

私や副代表を中心とする何人かのメンバーは「Qプロジェクト」をNAMから独立のプロジェクトにするという大規模な外科手術を施すことで,この問題を解決しようとしましたが,転移があちこちに進行して組織癒着もひどく,うまく行きませんでした。QをNAMの下部組織にしようとする柄谷行人の考えに追随するNAMに属するQハイブのメンバーが意外に多かったため,これがQとNAMの「紛争」へと発展してしまったのです。

そういう独裁的体制の中で,柄谷行人シンパの過激な小グループが自然発生的に形成されました。2002年10月に,柄谷の実の息子やQハイブメンバーを含め3名が総額1億Qを超える架空取引をでっちあげて,こうした不正が発覚すると今度はそれをシステムのバグを教えてやったのだと開き直ったり,MLでQは欠陥のあるシステムであるとかいちゃもんを付けて会費を返金しろと大騒ぎしたり,挙げ句の果てに,他のメンバーにQを退会するよう煽動したりしました。こうした自作自演ともいうべき,露骨で悪質な妨害活動を裏で操っていたのが柄谷行人でした。そして,こうしたQでの騒ぎに絡んで柄谷行人がNAMで傍若無人な言動を繰り返した結果,NAMが解散に追い込まれました。こうしたことすべてが,今や当時のMLのメールなどの資料から明らかになっているのです。

柄谷行人は『倫理21』で戦争責任を問い,「望ましい責任の取り方は、この間の過程を残らず考察することです。いかにしてそうなったのかを、徹底的に検証し認識すること、それは自己弁護とは別のものです。」と述べています。かくいう著者が自らの紛争責任を問い,自己の言動の「過程を徹底的に検証し認識すること」で責任を果たす気はあるのか。認識と考察だけで責任が十全に果たせるとは私は考えませんが,せめて自分の言葉どおりのことをできるのか。鋭い批評的洞察も己に対してなぜかくも盲目なのか,と思わざるをえません。

Qの方はこうした煽動でも柄谷行人や彼を取り巻くグループを構成する数十人しかメンバーは減らず,その後もNAMの残党からの妨害行為がありながら生き残りました。しかし,彼らの行為により大きな打撃を受けたことはまちがいありません。Qハイブは2年前,Qの規約を大きく改正し,システムをWinds_QからWinds_sletsへ変更しました。初期の規約に書かれていた団体会員や赤字上限の条項を削除し,システムの機能や管理運営員会の役割も縮小しました。そして,それを承認してくれる会員だけ更新してくれるよう求めたのです。この更新手続きは,Qが白紙から出直すという意味で行ったものです。その結果,予想通り会員数が大きく減りました(一時は350いた個人・団体会員も,騒動の中で300を切り,この更新で100を切りました)。多くの参加者は地域通貨がうまく行くかどうかではなく,こういうゴタゴタが阿呆らしくなったとか,嫌気がさしたとかでやめてしまったにちがいありません。

これがいくら理不尽とはいえ,こんなことは世間の様々な集団や組織でもよくあることでしょうし,特別な事態ともいえないでしょう。しかし,こうした紛争さらには戦争をできればなくしたいと考えるのもまた当然ではないでしょうか。今見た柄谷行人の一連の言動に含まれている理論的・実践的な問題点についてはいずれ詳しく論文を書くつもりなので,そちらをご覧いただきたいと思います。また,Qプロジェクトの上記サイトにあるQ監査委員会のアーカイブ等に資料があります。それをご自分でそれを読んでいただければ,ある程度,以上述べたQの関わる事態の経緯はつかめるでしょうし,私が柄谷行人について述べた事実の真偽も判断できるはずです。

[Qの有効性]

ちなみに,私はいまでもQの当初の制度設計の理念やシステムは有効であると考えています。そのための前提条件は,もう少しマトモな社会環境の下で,独立心と自制心を備えた大人が使うのならばということです。これは果たして過大な要求でしょうか。私にはそうは思えません。私自身もそれほど自信があるわけではないので偉そうなことはいえません。しかし,少なくともQに関して柄谷行人やそのシンパが行ったふるまいに陥らない程度の常識と見識があれば,立派に機能しうるシステムだと思っています。もちろん,システムのセキュリティはもっと高める方がいいでしょうし,そうした努力はすべきでしょう。しかし,本当の問題はクライアント・サーバー型の「システム」にあるわけではありません。むしろシステムエンドにある「ヒューマン」や「マインド」の方にあるのです。「ヒューマン」や「マインド」がよくなければ,中央のサーバーに依存しない分散型システムにしても変わりません。

そもそも完全なセキュリティもなければ,解読しえない暗号もありえません。いつか,それらは破られるのでイタチごっこを続けるしかないのでしょう。しかし,初めから全てを技術的に解決すべきだと考えるのもどうでしょうか。<空巣に入っておいて,人の家の戸締まりについて説教をする輩>や,<人殺しをしておきながら,それをナイフの殺傷能力のせいにし,より安全なナイフを要求する輩>は確かに存在して,私たちをうんざりさせます。そのために絶対に破られない鍵や人を殺せないナイフを作ることに延々と努力することは本末転倒でしょう。私は,空巣や人殺しをするなという道徳を過大な要求だとは思いません。

もっとも,プログラムのメンテナンスやアップグレード等の開発を持続できる体制をいかに作るかといった課題が残されていることも確かでしょう。これは,オープンソース型開発につきものの問題です。ここで,地域通貨の円滑な利用のためのソフトウェア開発のための有効な手段は何かと考えて行くと,結局,振り出しに戻ってしまいます。他の様々な問題と同じように,これを解決するには,お金を払う,権力的にやる,コミュニティ的に助け合うしか方法はないように見えるからです。地域通貨による解法とは,このうち1番目のマネーと3番目のコミュニティの合成ベクトルで解を出そうというものです。

話がQのこれまでの経緯についての話からそれてしまいましたので,この辺りで終わりにしておきましょう。